フットボールというコミュニケーション。
- masaru
- 2015年12月31日
- 読了時間: 6分
世間は年末年始。
旅の途中では、そんな一日も何もからへん一日になるんよな。
次どこいこ?
そこにはどうやっていくんや?
値段は?
こんな事をいつもと同じように考えてんねん。
今日はフットボールっていうコミュニケーションについて、真面目に考えてみてん。

サッカーってのは世界200カ国以上でやられてる、世界で一番競技人口が多いスポーツで、ボール一つあればどこでも出来るって魅力がある。
ってのは大体の人はなんとなくわかってると思うんやけど、、、
ほんで、サッカーを長年やってる人は口を揃えてこんな事を言ってる。
「ボール一つあれば誰とでも繋がれる。」
スポーツとかに無縁の人からすればちょっと理解が難しいかも知らんけど、、
僕も個人的にはそれに賛同する。

日本を出て、韓国・カナダ・アメリカ・メキシコ・キューバ・ペルーと旅してきてるけど、
サッカーやってない国はなかった。
街を歩いてたら絶対にサッカーコートがあった。
「世界一盛んなスポーツ」
って言葉ではわかってても、日本を出て初めて体でそれを感じれてん。
特に、中米から南米にかけては、想像を超える数のサッカーコートとサッカーボールを目にする。

サッカーってスポーツが街中でやられて、
街中の飲み屋ではサッカーの試合が流れて、
そんなスーパースター達に憧れて、
また、ボールを持って街中にでていく。

そこでいつもと同じメンツでサッカーをする。
たまに飛び込んでくる新人も混ざったりする。
上手い人とやった方がおもしろいって考え方もあるけど、、、
子供相手にサッカーするのもおもしろい。
ただボール蹴り合うだけでもいい、
足でやるスポーツやからミスがあって当然。
そのミス見て笑い転げたり、
笑われて悔しがって練習したり、
次はうまくいくと信じて挑戦し続けたり、
それで、今いるペルーのマチュピチュ村で、「サッカーが人をつなぐ」
って事を目の当たりにした。
マチュピチュ村は、名前の通り有名なマチュピチュ遺跡から一番近い街。
街中にはバックパッカーの旅人で賑わう、マチュピチュありきの街なんやけど、、、

険しい山に囲まれて、
辿り着くだけでも大変で、
決しておっきい街じゃないんやけど、、、
そこにもサッカーがあった。
観光客相手の飲食・お土産通りから少し横道に入ると広がる人工芝のサッカーコート。

ここのサッカーコートは、何かが違う。
ある場所では、
大人達が削りあいのサッカーをして、
ある場所では、
若者がテクニックの見せ合い、
ある場所では、
子供達がボールを追いかけて、
コートの端っこでは、
子連れのお母さんたちが世間話、
スタンドでは、
ビール片手にそれをみるおじさん、
スタンドの外では、
100円前後の出店が、
たまに野良犬が入ってくる。
本来11対11の22人しか出来ないはず。でもここは100人以上の人でいっぱいのサッカーコート。

こんなサッカーコート見た事ない。
稀に訪れる旅人も参加できる場所。

上手い下手関係なく、
握手して自己紹介して、、、
サッカーを一緒にやる条件はこの二つぐらいかな。
あってないようなもの。
実際にやってわかったんやけど、削りあいのサッカーはお金がかかっていた。
勝てば5ソル。
日本円で200円もいかないぐらい。
でも現地の人からすれば、軽い昼食ぐらいの値段。
このコートには、
使用料金、
時間帯、
観戦料金、
入場規制、
そういった概念が全て排除されてる。
今から10年以上前。
僕が大阪でサッカー少年やった頃。
休みの日に近所でサッカーしてたら、迷惑と言われて、大人の目を盗みながらサッカーをしたり、
卒業した小学校にサッカーをしに行ったら、「最近不審者が多いから、卒業生でもはいれへん。」と突き返されたり、
中学校のサッカー部の練習の後、グラウンドが空いてたから、顧問の先生に使っていいか聞いたら、「サッカーはチームスポーツやから、一人で突きあがるな。」と言われたり、
なかなか自由にサッカーが出来へんかった。
僕はただサッカーボールを蹴りたかっただけやねん。

ほんで、僕の生まれ育った大阪に大学生の頃、大規模なサッカー場が出来た。
日本代表が練習にくるような綺麗なトレーニングセンター。
コートの数も2・3じゃない。
15以上ある。
でも、ここマチュピチュ村のサッカーコートには勝てない。
その理由は、管理する側が決めた覚えきれないほどのルールやと思う。
もちろん、コートは予約制。
休日は大会のため、何ヶ月も前から取り合い。
コート外ではサッカーボール禁止。
綺麗に整備された天然芝の空き地は、芝が痛むという理由で立ち入り禁止。
売店を出そうと思うと許可と料金が発生。
何か新しいことをしようと思ったら、いろんな人への確認の連続。
これで、日本のサッカー環境は変わるんかな?
もちろん、日本でのサッカーの環境はいいと思う。
サッカーチームはどこにでもある。
指導者もいる。
体をケアしてくれるトレーナーもいる。
練習用具も綺麗。
ボールも一人一つ。
でも、何かが足りない気がする。
僕が思うサッカーは、
「足でボールを蹴って11人でゴールに入れるスポーツ。」
じゃない。
人をつなぐ最高峰のツールやと思ってる。
ここマチュピチュ村のサッカーコートは全員がサッカー好きで上手いわけじゃない。
端っこでバレーボールやってる女の子もいる。
ただ寝転がって本読んでる人もいる。
スタンドで酒飲んでるだけの人もいる。
別にサッカーが好きじゃなくてもいいんやと思う。
サッカーをやってる空間に人が集まってきてるだけ。
サッカーがきっかけを作ってるだけ。
日本のたくさんのルールってのが必要ないわけじゃない。
もちろん、それがあるからいい部分があるのもわかる。
でも、そんなルールが違うルールになることによって、
人が出会って、
新しい友達ができて、
毎日に楽しみができるんやったら、
ルールを変えることに全力をかける価値はあると思う。
サッカーの本質とは?
出会いの本質とは?
人と人の付き合い方の本当の形は?
言葉も全く通じへんペルーのちびっこが、
ボールを奪いにきて、
転けて、
泣いて、
泣き止んで、
足にしがみついてボールを奪いにきた事は忘れもせえへん思い出になった。
これが、フットボールというコミュニケーションやと思う。

もし自分にお金があったら、日本のどっかの街中に、なんの規制も料金もかからない人工芝のサッカーコートを作りたい。
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