喜びはみんなで分かち合うもの。
- masaru
- 2016年1月15日
- 読了時間: 4分
ボリビアコチャバンバに来てます。
コチャバンバってどこやねん!
名前おもろいやんけ!
ってのが僕のこの街のはじめの印象。
ボリビアっていったら、、、
「ウユニ〜〜!」
ですよね。
それ以外あんまり知らんと思う。
僕もはじめそうやったからね。
そんな僕が、なんで今コチャバンバにいてるかっていうと。
2年前、自転車で日本回ってる時、屋久島で出会った友達が、JICAの協力隊でコチャバンバにいるって連絡くれたからやねん。
JICAでどうこうっていうより、
友達に会いに行きたかったのが一番の理由。
ここに着くまでに、その友達の話を聞いてると、
いろんな理由で両親がおらん子供達が生活する児童養護施設で働いてるんやと。
子供=一緒にサッカーできる。
って僕の単純な脳みそが答え出したんです。笑
そして、再会して色々話を詳しく聞いていくと、、、
一緒にサッカーしたいって気持ちが強くなったんよね。
僕たちが当たり前のように注がれた、お父さんお母さんからの愛情なしで育たないといけない子供達。
僕はサッカーやるぐらいしかできへんけど、やるよりやらん方がいいってなって、
養護施設と学校がある場所にいってきました。
友達と一緒に子供集めて、
10人ぐらいがきてくれた。
年齢も様々。
サッカーやるまでは、言葉もわからん僕がどうやって接したらいいんかな〜
とか、考えてたけど、
始まるとそんなこと考える必要なかったんやな。
って思えた。
それはサッカーの素晴らしさやと思う。
ただボールを追っかけて足でゴール入れるだけ。
誰でもできる。
誰もミスする。
そんなことも飛び越えて、
ボール手で持ってどっかいっちゃう子がいたり、
ゴール前でおしゃべりする子がいたり、
果敢にドリブルで挑んでくる子もいる。
これでいいんやと思う。
日頃の生活はどんなかわからんけど、
遊ぶ時は、面倒くさいルールなんかいらんでしょ。
みんなが身体動かして、楽しけりゃいい。
それが難しかったりするんやけど、、、
誰も悲しまずに、傷つかずに、楽しけりゃいい。
サッカー終わって。
「みんな写真とろーぜー!」
っていっても、

この有様。笑
中学生は思春期で写真に写りたいのに、隠れてみたり、
写真嫌いとか言ってどっかいっちゃったり、
まぁむちゃくちゃ。笑

結局、みんなが写ってるまともな写真なんて一枚も撮れへん笑。
これでいい。
みんな好き嫌いを選べばいい。
ここに来て一緒に時間を過ごしてくれただけで、意味はあると思うねん。
こんなんするからゴールネットはボロボロ。

でも、、、
僕が配ってるボンフィンあげたら、、、

みんな喜んでくれるわけだ。
「この飛び道具はすごいぞ。」
こんなこと今まで何回思ったことか。
もうなんでもあり。

そんな子供達が可愛すぎてたまらんかったんよね。
自然体でいててほしい。
さっきまで恥ずかしがってた子供達も、関係なし。

「僕が手首につけるんやで〜〜」
って見せてあげたら、、、
僕がむずんであげてるのを見て、
「私も私も!!」

って寄ってきて、
ボンフィンに込められてる願いなんて関係なしに、
ただ、それがあるだけで喜んでくれてる。

そして、今まで言われたことなかったことを言われた。
「友達にあげたいから、もっとちょうだい!」
この言葉にいろんなことを考えさせてもらった。
僕は、このテーマで世界中を旅しようと思ったのは、
僕が出会った人との出会いを出会いで終わらせたく無いって思ったから。
でも、この子達は違ったんよね。
自分だけじゃなくて、
「友達にも喜んでもらいたい。」
そんな気持ちがにじみ出てた。
普通の感覚でいえば、
「こんなんもらってん!いいでしょ〜」
って自慢するかな。
自分は特別。
ってそう思いたいと思う。
それに、いっぱいもらったらわるいかな?
とか考えちゃう。
でも、子供の純粋な気持ちはそうじゃないみたい。
喜びは独り占めするもんじゃない。
みんなで分かち合うもの。
こんなことを考えさせてもらった。
やっぱり子供は宝物やわ。
僕が大人かわからんけど、
大人に勉強させてくれる。
僕の持ってるボンフィンは1000本以上。
出し惜しみする必要なんてどこにもない。
ほしいやつは全員こーーーい!
ここでも、サッカーに救われました。
明日もいってきます。
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