出会いに、悪い出会いはないって思いたい。
- masaru
- 2016年5月10日
- 読了時間: 6分
11月5日に日本を出発してから半年が過ぎました。
只今、15カ国目のモロッコ・フェズ。
ほんで半年たった今、旅を振り返ることがよくあるねん。

僕が旅で配ってるボンフィン。

1326本あったボンフィンも残り600本ぐらい。
700本は配れたかな。
思うことは、
人に物をあげるのは難しい
ってこと。
初めの思いは、
その人の豊かな人生の手助けできへんかなって思いから始まった。
どうせ旅するんやったら、人のために何かできへんかなって思ったんよね。
でも、特技もないし、有名人でもない、
ってなったら、誰でもできる僕にしかできないことをやりたくなったんよ。
ほんで、ボンフィン作っていろんな人に協力してもらって旅立つことができた。

初めの頃は、その気持ちのまま順調?に色んな人に渡せてた。
株BONFIGOさんと一緒にやってる、
「Smile with project」
簡単に言えば、僕がBONFIGOのTシャツ着て、ボンフィン渡せた人に写真撮らせてもらって、FBページで紹介して、出会いの輪を広げていこ!
って試み。
旅の初めは、
渡したい!
写真撮らせてもらいたい!
この気持ちが強かったんやけど、旅が長引いていくにつれて、、、
渡さないと、
写真撮らないと、
この気持ちに迫られだしたんよね。

1300本のボンフィン、一人一本渡すってなったら、1日4本ぐらい配らんと日本帰国までに終わらへん。
とかいらんこと考えたりしてた。
1300本は僕がお金出したわけじゃなくて、日本で、僕の旅に支援してもらった人から頂いたお金で作らせてもらった。
かといって、無理に誰ふりかまわず渡すのも気がひけるし、
渡す人を選び出したら配りきれへんし、
その狭間で過ごす毎日もあった。
今日は誰にも渡せへんかったな、、、
昨日は1人だけやったな、、、
一緒にサッカーしたら20本配れるな、、、
1日に何人に渡そうが、他に代わりがいない「その人」に渡せたことに違いないのに、
そんなことわかってるはずやのに、頭の中ではその日の本数に依存してる。

なんか、これって友達の作り方にも似てるかもしらん。
どこからが友達で、どこからが親友で、どこからが他人なのか?
説明できる人はおらんやろな。
長い時間一緒にいた人が親友か?って言われたらそうじゃないかもしらんし、
一瞬出会っただけの人が他人か?って言ったらそうじゃないし、
友達が多い少ないなんて、そもそも何と比べて多いのか少ないのか?

ほんで、もう一つ。
渡せても写真が撮れてない人がほとんど。
今700本配って多分500人ぐらいの手に渡ってると思うんやけど、写真に残せた人は200人もおらんかな。
写真撮れない理由は色々。
・単純に写真苦手な人。
・宗教的にダメな人。
・理由はわからないけど嫌がる人。
この3つは別にいいねん。相手の都合やから。
一番悩むのは、僕がその人に「写真撮らしてもらえる?」って聞けない人。
それは言葉の問題でもなんでもない。
単純に僕が聞いてないだけやねん。

その気持ちの裏側にあるのは、
「せっかく仲良くなったのに、ボンフィンもって写真撮らせてもらえる?」
って言った時に、その人との距離が少し遠く感じてしまう時がある。
ちょっと考えてみてほしい。
「レッドブルガールにレッドブルもらって、楽しく話してたら最後に写真撮れせてください。」
とか、
「テレビで感動的なエピソードの後の青汁宣伝。」
これで、一気にプライベートから、なんやその為の前振りかい!
ってなってまうやん。

もちろん、僕の思い出にもなるし、プロジェクトをやる上で写真ってものは大切な物になるんやけど、
そんな色んな理由で、もやもやしてるんよね。
出会った人の為にやりたい!
って思ったのに、
なんか最近は、「自分の為」にやってしまってる気がする。
自分の活動を知ってもらいたいって気持ちと、
出会った人との関係を大切にしたいって気持ちと、
その二つでどっちつかずの精神状態。

もういっかい初心に戻らなあかんな。
相手のことをちゃんと考えて、
話しかけてくれたり、
親切にしてくれたり、
出会えてよかったって人に素直な気持ちで渡せるようにならないと。
写真は二の次や。
そもそも、「写真撮らせてって」いっても崩れない関係性をその一瞬で作っちゃえばいいだけの話。
たった5分でも心を開いてオープンな気持ちで接することはできる。

出会いに、悪い出会いなんてないって思ってるから、
出会った人全員に渡してもいいんかもしらんしね。
こっちが渡す人を選ぶなんて、おこがましいわな。
ほんで、ちゃんと関係作れたら写真にはしっかり笑顔が残されてる。



それが、
物乞いの人であっても、
言葉が違っても、
宗教が違っても、
お互い信頼できていい時間を過ごせたら、気分悪いはずない。
それに元をたどれば、「人」であることになんの変わりもないしね。
こうやって、今まで出会った人の写真を見てたらなんか元気出てきた。
カミーノ巡礼で出会った、ブラジル・サンパウロ出身の夫婦。一緒に歩いた時間は短かったけど、歩く辛さ忘れさせてくれる出会いやった。

ブラジル・弓場農場で出会って、僕に強烈な刺激を与えてくれたゆうちゃん。彼は僕のボンフィンをアリゾナトレイルで配らせてくれ!って言ってくれた。

カバンなくなったメキシコで出会ったリク。その後ボリビアで再会して、「彼女の分も貰っていいですか?」って言ってくれて、写真送ってくれた。

ボリビアの児童養護施設で一緒に遊んでもらった子供達。僕がいなくなってからも「まさるはどこいったの〜」っていってくれてるんやって。嬉しすぎるね。

ブラジル・弓場農場のアイドル。ゆきちゃん。旅中にあったウッシーが、僕がいった後に弓場いったみたいなんやけど、大事に持っててくれたって。「まさるくんは〜〜?」ってよく言ってたみたい。また行かなあかんやんな笑

カナダ・バンクーバーで夜寂しくて散歩してたら、友達のプロポーズのセッティングやってたジェイムズ。プロポーズ見事に成功してたな。一人で旅する不安を取り除いてくれる出会いやった。

アメリカ・ワシントンの路上で高らかと歌い上げるミュージシャン・ミック。なぜか彼の歌声に足を止めてしまった。今でも彼のギターにボンフィンついてるんかな。あの場所行ったらいつもとかわらん日常の中で、今日も彼が歌声を披露してると思うと、、、また会いたくなってきた。

「宗教とか民族的な理由で、ボンフィンは着けれないけど、写真は撮って!」って言ってくれたモロッコ・ティネリールのジジ。物売りやのに買え買えって感じを出さずにゆっくり買い物させてもらえた。

ペルー・マチュピチュ村でサッカーした青年たち。標高3000mでのサッカーは人生で一番辛かったな。へろへろなってるのに、「次の試合も頼むぞ!」って言ってくれた友達たち。

キューバ・ハバナで散歩してたら、「日本人か?酒飲むの付き合ってくれないか?」って誘ってくれたマコ。2時間ぐらいひたすらビールごちそうなったな。またあのボロッボロのバーで酒のみたいな。今度は奢らせてもらわないと!

嬉しいことに、旅の途中に渡しそびれた日本人とか、海外で戦ってる友達から、
「僕にも1本置いといてくださいね!」
って言ってもらえてる。
そんな言葉をかけてもらえる時に、「やっててよかった!」って心から思える。
他の何にも例えれない喜びやな。
ほんまに、みんなありがとうや!
ブログ書いてる間に、これからの旅の仕方のヒントがもらえた気がする。
いつも僕の左ケツポケットに入ってるボンフィン。写真とれるかな?とか考えずに、渡したい人に渡す。
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