地球規模で、、、
- masaru
- 2016年5月14日
- 読了時間: 3分

今、パリにいます。
モロッコに20日滞在後、フランス・パリへ飛行機で移動。
砂漠から大都会へ。
地球の表と裏を見れた気がするんよね。
人が住めない場所から、
人が集まる場所へ、

多分、ヨーロッパを回ってパリにきてたら感じ方違ったかも知らんけど、
砂漠を見てからのパリは衝撃の連続やねんな〜
いろんな意味で。
「パリ」
って聞けば、、、
エッフェル塔、
凱旋門、
パリコレ、
なんか、おしゃれなイメージが先行する。
新しい街とか国に行く時、できるだけ自分の固定概念とか捨てていくようにしてるやけど、、
何を感じたか?

どこの都会も、凄まじい発展を遂げてる。
交通網、
食事、
建物、
衣服、
僕の目にはパリの発展は行き過ぎた発展のようにも感じてしまった。
ひっきりなしに行き交う人。
たくさんの車。
消費の連続。
ものに溢れてる。
ほんで、よく聞く「意外とパリって汚いで。」
これは想像以上やった。
多すぎんねん。ゴミが。

いたるところに溜まるタバコの吸殻、
風に飛ばされたビニール袋、
使わなくなった電車切符、
日本がどうやったかはっきり覚えてないけど、
日本よりゴミが多いんちゃうかな?
もちろん田舎は違うやろうけど、少なくともパリは多い。
文明が発展してきて、
ものに溢れて、
消費を促進させて、
いらんくなったものが、誰の手元にも行かずに道端に転がってる。
いらなくなったら捨てるんやな。

人が生活するってなったら、消費は絶対にせなあかんねんけど、
「消費」についてすごい考えさせられたんよね。
モロッコで感じた、人が住めない世界。
それを人が知らず知らずに広げていってるかもしらん。
何かを作ったら、
更にいいものを、
更に便利なものを、
これは終わらへんのかもしらん。
でも、その発展が人の首を絞めてる場面もあるんちゃうかな?
「〜したい!」
って気持ちから、
「〜しないといけない!」
に変わっていってることが多いんちゃうかな?
それが、周りの目かもしらんし、自分の使命かも知らんし、
ようわからんけど、

あれ食べたい!
もっといっぱい食べたい!
もっとおいしいもの食べたい!
「もっともっと」は大体値段が上がってまう。
そのために自分の時間を使ってお金を作る。
もっとおいしいものが、毎日になったらそこから下げるのは難しくなってまう。
それが当たり前になって、しらんうちに生活レベルが上がってて、気がつけば下げれなくなってるかも。

その先にある地球の未来はどうなるんやろな?
答えのない問題にまたぶつかってもうた。
自分一人で世界は変えれへんし、
自分の意見が全て正しいか?っていったらそうじゃないし、
無知な自分もいるし、
全部を知ることもできへんし、
そうなったら、「じゃぁどうしたらいいねん?」
もうこの問いがいつものようにやってくるわけ。
どうすんの?自分?

世界を見させてもらってるからこそ、
地球規模でどうすべきか?どうしたいか?
って考えを自分の中に持っていたいなって思うんよね。
自分の出したゴミがどうなるんか?
自分が言ったことがどうなるんか?
自分の欲求とは別に、「地球にとってどうなのか?」
そんな考え方を持ちたいな。
サッカーボール一つで人を魅了してる人もいてる。
何も知らん自分でもなんかできることあるはずやな!

今日も勉強。


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