女は愛嬌。男も愛嬌。
- masaru
- 2016年6月29日
- 読了時間: 3分

インドでのある日。
マザーハウスでボランティアがしたくて、インド東部のコルカタに行ったんやけど、、、
申し込みの翌日がボランティア休みっていう結末。
これまたインドで1つできなかったことが増えてもうた。
できへんもんはしゃーない。
気持ちの切り替えしか選択肢にない、僕と純平。
インド滞在の時間が限られてる僕らは1週間後にはデリーに戻らなあかん。
すでに購入してた、コルカタ→バラナシの20:00発の電車のチケットを持って、コルカタの駅へ。

もちろん電車は遅延。
出発予定時刻は22:30。
もう、インドでこんなことは気にもならへん。
問題は2時間半の時間をつぶす方法だけ。
ただ、インドの素晴らしい点は、
「暇つぶし何しよかな〜」
なんて考える前に、暇をつぶしてくれるインド人が次々に登場してくれるところ笑
ちょっと駅の外に出れば、
「今晩俺の家にこないか?可愛い娘がいるぞ!」
「今日が無理なら、明日迎えに行くから電話番号教えてくれ!」

この調子で3〜40分は勝手に時間が過ぎてくれんねん笑
暑いのが厄介なぐらいで、人は愉快。
インド人は「脇役」がひとりもいないような気がするんよな。
強烈な個人主張と、
自分の欲望のためにまっしぐらな感じ、
子供がそのまま大きくなったような大人がそこら中にいる。
嫌いじゃない。
むしろ好き。
その2時間半の待ち時間で一際存在感を出してきたのが、ある姉妹。

登場して早々、
「何か食べるのもちょうだい!」
ニコニコと、そして偉そうに!
「お腹すいてるんだから食べ物寄越しなさいよ!」
とでも言わんばかりの強気の態度。
でも、彼女たちが僕らを虜にしたのは、
「愛嬌」
これに尽きる。
貧困地域って言われる場所に行くと、物乞いの人が路上でお金とか食料を恵んでもらうために、コップ置いて手を差し伸べてくる。
表情は大半が悲しそう。に見えてまう。
僕が初めて、物乞いにの人を目の前にしたのはちょうど1年前。
フィリピンにいる頃。
「全員にあげない!」
って決めれば、感情を消してしまえばいいだけの話。
でも、それはしたくない。
そして、たまに何かあげたくなる人たちがいるんよね。

それは、「自分に何かを与えてくれた人」
その人には自然と何かしてあげたくなる。
この姉妹は、時間を持て余してる僕たちに「笑顔と出会い」を与えてくれた。
そのお返しに、数十円の飲みのもと食べ物ぐらいなんてことない。
もし、彼女たちが僕たちに笑顔で接してこなかったら、
「ごめんね〜あげるものなんもないんよ〜」
で終わってたかもしらん。
純平に関しては、わざわざ売店まで一緒に行ってなんか買ってあげてたな。
彼のそういうとこは本当に好きな部分。
一緒に旅してよかったなって心から思える。
心が本当に綺麗やねん。
僕も夜行電車で食べるはずのお菓子とコーラをあげてしまった。
いや、あげたくなった。
「女は愛嬌」
こんな言葉もよく言われるけど、女性に限らず「男性も愛嬌」
でいたいなって思った瞬間。
多分この子たちが男の子でも同じ表情で接してくれたら、なんら変わらない対応をしてたやろうし。

「何かしてもらいたかったら、自分の欲しいものを人にあげることから始めろ」
とよく言われてるけど、彼女たちは自然とそれがわかってたんかもな。
ただ、遊んでただけなんかもしらんけど、、、笑
自分に置き換えてみたら、
誰かに何かをプレゼントする事から考えれてるか?
誰かが何かをプレゼントしてくれる事を先に考えてないか?
そんな自問自答がず〜〜〜っと続くわけだ。
22:30
予定通りの遅延でバラナシ行きの電車が到着。
この電車も、彼女たちと出会えた2時間半という「時間のプレゼント」をくれた。
ってことにしとこう!

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