終わりと始まり。
- masaru
- 2015年12月20日
- 読了時間: 3分
2日前、バス乗って歩いてやってきたハバナ空港に、 全く同じ景色をみながら移動しているキューバ最終日。

全く同じとこ通ってるのに、なんでこんなに感じる事が違うんやろ。
1週間お世話になったアニータ一家の愛情、
宿で一緒におしゃべりしてくれた旅人達、
道端で声かけてくれたキューバの人々、
お金を要求してくる人たち、
朝から晩まで人が行き交う景色、
夜によってくる売春婦、
ビールおごってくれた酔っ払い、
クラシックカーのある街並み、
バルコニーから顔を出す風景、
綺麗に干された洗濯物、
そんな全部が、ハバナ空港行きのバスで蘇ってくるんよね。
バスから見える「チェ・ゲバラ」の肖像画。
キューバではほんまめっちゃいっぱい勉強させてもらったんやけど、
なんか心残りやねん。

やっぱり、街とか人との別れは寂しく悲しくなってまう。
「じゃぁいつまでもそこにいて住んじゃえばいいやん。」
ってもし言われたら、、、、
それはそれでまた違う。
人の気持ちは矛盾の連続やね。

物事には、「始まり」と「終わり」がある。
1日は24時間。
1年たてば1歳年をとる。
夜が明ければ朝が来る。
日本の小学校は1年生から6年生まで。
ご飯は食べればなくなる。
お金も使えばなくなる。
仕事も終われば帰る。
ほとんどのものに終わりがあるやん。

思うんやけど、、、、だから楽しかったり悲しかったりすると思うねん。
色んな事を感じれるんやと思うんです。
美味しい食事もいつまでもなくならへんかったら、美味しく食べれへんと思うし。
お腹いっぱいにならへん体の仕組みやったら、大好きなものでも飽きてくるやろうし。
今回のキューバ、もともとは移動しながら他の街に行くつもりやったんやけど、
カバンのこともあったり、街と人が良かったからずっと同じ場所に居続けたんよね。
ただ正直なところ、5日目ぐらいからやること無くなってくる。
その時、「他に移動しとけば良かったかな?」
って思ったんやけど、、、まぁもう遅い。
でも、バス乗って空港に向かってるこの瞬間には、物足りなさを感じでもうてる。
見るべきものはみれたんかな?
会うべき人にはあったんかな?
やるべきことはやったんかな?
考えれば考えるほど、「全部」なんて無理。
どれだけ時間あっても全部を知ることは無理。
でも1週間っていう自分で設定した期間があるから、そんな感情も出てきたんやろな。
無限にある時間の中で、限界を作ってるのってこれまたおかしな話やけどね。

まだカバン見つかってません。
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